気付きとは?

気付きとは、物事をあるがまま見ることであり、思考が生まれる前の状態。

そこにエゴは存在しない。

人は今まで蓄積した知識と経験というフィルターによって、物事を良くも悪く歪めて見てしまう。

これでは真実が見えてこない。

真実をあるがままに見るテクニックであり、我々が失ってしまった能力、気付き。

その失われた能力を取り戻す、また獲得するには、忍耐、努力、継続が必須になる。

日々継続することで経験によるフィルターが剥がれ落ち、少しずつ気付きが身に付く。

客観的観察の対象とは?

中道ヨーガにおける客観的観察の対象とは、心、呼吸、体。

客観的観察の対象を外側には求めない。

また客観的対象である、心、呼吸、体を同時に観察する。

客観的観察と気付きの違い

「客観的観察」とは、努力、感情、思考のコントロールを伴う客観視のことである。
  心は五感による情報を制御しようと努力している状態。心の湖面には風が吹きつけ、真実をしっかりと捉えられなく、努力して「客観視」しようとしてるさま。

「気づき」とは、努力、感情、思考のコントロールから解放された客観視のことである。
  五感による情報が、感情、思考などのフィルターに一切影響されることなく、心の湖面がまるで鏡のように物事の真実を映し出しているかのような状態、これを「映っている」とする。

中道ヨーガにおける躾とは?

中道ヨーガにおける躾とは、心、呼吸、体を自分自身で躾けること。

また、実践を指す。

客観的観察同様、ここでもこれらを切り離して躾けるのではなく同時に行うことが重要。

「中道ヨーガのメソッド」に示したように、躾では、ヨーガ八支則の6つを同時に行う。

  1. アーサナ(坐法)-ポーズの実践
  2. プラーナヤーマ(調息)-細く長い、柔らかな呼吸、吐く息と吸う息の長さを一定にする
  3. プラティヤハーラ(制感)-五感を制御して、感覚を内側に向ける
  4. ダーラナー(凝念、集中)-自分の呼吸、ポーズ、刹那に集中する
  5. ヤマ(禁戒) アヒンサー(非暴力)-アーサナ中は無理をしない
  6. 二ヤマ(勧戒) サントーシャ(知足)-今の自分に満足する心を持つ、タパス(修行への専心)-努力する

アーサナを継続することで、体が強くしなやかになる。

プラーナヤーマでは、出来る範囲で細く長く柔らかな呼吸を意識する。

体が強くしなやかになればなるほど、呼吸は深く強くなる。

呼吸が深く強くなれば、心は自ずと元の場所、つまりこの刹那(体)に収まり、穏やかさを取り戻す。

動作(アーサナ)と呼吸の連動性が高まれば、集中は自然に長く途切れなくなり、

最終的には、ヨーガ八支則の7つ目にある、ディヤーナ(静慮、瞑想)にたどり着く。

ディヤーナ(静慮、瞑想状態)、サマーディ(三昧)は得るものではなく、与えられるもの、つまりギフト。

中道ヨーガにおける「気付き」とは、ヨーガ一般で言うところの、ディヤーナ(静慮、瞑想状態)であり、

叡智がサマーディ(三昧)。

つまり、気付き、叡智は、客観的観察と躾けによるギフト。