中級者が陥りやすい負のスパイラル、釈迦(ブッダ)が説いた中生の道、「中道」に至る道のり。
(ヨーガ道を歩みはじめて5~6年が過ぎた頃からの数年間のお話。)
サーフィンのために始めたヨーガ。
ヨーガに求めたのは「強い呼吸」と「強い心」。
体の線が細く、肺活量の少ない自分がより大きな波にチャレンジするためには、どうしてもそれらが必要だった。
ヨーガを継続すればするほど、ヨーガへの情熱がサーフィンへの想いを越えていく。
これまでの人生、これほどまでに自分自身と真剣に向き合ったことはなかった。
この頃にはヨーガはライフスタイルの一部を超え、生活の中心にあったと言える。
寝ても覚めてもヨーガのことばかりを考えていた。
まるで何かに取り憑かれたようにヨーガの思想哲学の本を読み漁る日々。
ヨーガ·スートラだけでも4冊以上、何度も何度も読み返し理解を深めた。
実践に関しては、アーサナが過程ではなく、目的になることで、アーサナ実践が自己統制から強制へ変わり、
ヨーガが出来ないことへの不安、ストレスを覚えるようになる。
さらにはアーサナが目的になることで、心と体は遠く離れ、体を蔑ろにし、心の赴くままにプッシュし続けた結果が怪我である。
食に関しても、これはダメ、あれもダメ、と中途半端な知識で健康を決めつけ、
体が欲しているもの、必要な栄養をいっさい摂取せず、体からのメッセージを無視し続けた結果が、激しいめまいを伴う体調不良。
立ち上がることもままならないくらいに衰弱しきった体、ともに堕ちていく心。
長年積み上げてきたヨーガが崩れ去った瞬間。
「信じた道、歩んできた道は間違いだったのか?」と自問自答を繰り返す日々。
しっかりと栄養を摂り、ゆっくり休むことで次第に体力が回復し、
やっとヨーガが出来た時の喜びを今でも忘れることはない。
嬉しさのあまりに涙がこぼれ落ちたその瞬間を鮮明に覚えている。
ブッダはどうして行き過ぎた苦行を捨てたのか、どのようにして悟りに至ったのか、どうして中道を説いたのか、が理解できた瞬間でもあった。
悟りは、自らをストイックに追い込むことよって得られるわけではなく、自由気ままで過去未来を行き来する心をこの刹那に存在する体に繋ぎ留め、心身一如の状態で修行に励むことでしか得られない。
そして、その状態を見出すこと自体もまた、悟りにつながる修行になる。
ヨーガに悟りを求めていなかったとしても、これらのことを心に留めヨーガを行えば、より豊かに生きられるのは間違いない。
そして本当の意味でのヨーガの道が始まった。
「心身一如」を掲げ、「中道」を目指すヨーガの道。