瞑想には、数多く種類が存在する。またその目的も違う。
一般的な瞑想のイメージ?
静かな場所に坐して、心を何かに集中させ、それを越えて「無の境地」へ至るテクニックといったところではないだろうか。
中道ヨーガにおける瞑想とその特徴
- 中道ヨーガメソッド、それ自体が「動く瞑想」
- 動く瞑想を行いながら、心と体、そして呼吸を徹底的にスキャン(客観的観察)
- スキャンをすることで客観的な立場からデータ(気づき)を得る
- そのスキャンデータを基に、アライメント(調整、躾け)を取る
- このプロセスをひたすら繰り返すことで、気づき、すべての物事を客観的に見る力、そしてそれらに影響されない心、何にも侵されない体、最後に叡智が身につく
- 気づきを得れば得るほど、フィルター(知識と経験からなる色眼鏡)が、一枚、また一枚と剥がれて、エゴが薄くなり、自分自身はもちろんのこと、物事を客観的に見ることが出来るようになる。この最終段階が叡智の獲得
- 中道ヨーガの特徴の中で言及している静の瞑想(深い瞑想)とは、ただ坐して瞑想することではなく、心と体の状態を指している。つまり、動の瞑想を継続することで気づきが得られる。その気づきを積み重ねることで、エゴが薄くなり、物事を客観視出来るようになる。これが静の瞑想(深い瞑想)。この状態にあることで、普段の日常、喧騒の中においても、心静かに、体健やかに生きることが出来るようになる。
この叡智が身につけば、心穏やかに、体健やかに、そして豊かに生きることが出来る。
ただしこれらは一朝一夕で手に入るものではない。
ヨーガ、瞑想に即効性はない。
じわじわと、ゆっくり変わっていく。
逆に言えば、リバウンドもない。
そして、忍耐、たゆまぬ努力がなければ、絶対に身につかない。
心には体の状態が現れる
その逆もまた然り
そして顔には、その人の心と体の状態が現れる
心は体の鏡、体は心の鏡、顔は心と体を映す
所作の美しさ、佇まいの美しさは、その人の己に対する厳格さを物語る
所作、佇まいでその人間が分かる
そこに言葉は必要ない